零戦の各型

零式艦上戦闘機三菱重工業が開発し、中島飛行機とともに10000機以上が生産された日本帝国海軍の戦闘機です。
発動機の発達や、戦術や戦略の変遷により多数の型が開発された機でもあります。今回は各型の特徴をご紹介します。

十二試艦上戦闘機
海軍が交付した「十二試艦上戦闘機計画要求書」には、当時の九六式艦上戦闘機と同等の空戦能力を持ちながら、時速500km/h以上の戦闘機を開発せよ、とありました。
三菱重工業では、九六式艦上戦闘機の設計を手掛けた堀越二郎を中心にこの要求を満たす戦闘機の開発を始めました。
十二試艦上戦闘機一号機と二号機は、本来装備する予定であった栄発動機が間に合わず一回り小さい瑞星一三型という発動機を搭載しました。
のちに栄発動機を搭載した三号機は海軍に採用され零式艦上戦闘機となりました。

零式艦上戦闘機一一型
正式採用をまたず数十機が中国戦線に配備され、現地で改修を繰り返し、零式一号艦上戦闘機一型として正式採用されました。その後零式艦上戦闘機一一型と名前が改められます。
一一型には艦上戦闘機ではあるものの、着艦フックはなく滑走路の離着陸が前提となりました。
一一型は爆撃機の護衛としてロシア製の旧式戦闘機を主力とした中国空軍を圧倒し、それを見たアメリカのクレア・リー・シェンノートは本国に零戦の脅威を報告しましたが「日本にそんなもの作れる訳がない」と相手にしてもらえませんでした。

零式艦上戦闘機二一型
二一型は初めて空母での運用を想定されて作られました。そのため着艦フックや無線、測定器などが装備されています。
しかし実際にそのままでは空母のエレベータに翼が入りきらず、翼の両端を50cmのところで折り畳む機構が取り入れられました。
真珠湾攻撃から戦争序盤の南方への進出に貢献した型でもあります。


零式艦上戦闘機三二型
零戦の性能を大きく向上させるため開発され、配備されたのが三二型です。他の型と大きく異なるのが翼の形です。二一型では翼端を折り曲げて収納されていましたが、三二型では翼端そのものを切り詰め、角形の翼になりました。
また発動機も栄の性能を強化したものを搭載し、事実二一型に比べ速力、上昇力、急降下速度全てが上回り、20mm機関銃の携行弾数も増やしました。
しかし三二型は零戦の長所であった航続距離が短くなり、長大な距離を往復して空母の位置を悟らせないアウトレンジ戦法と相性悪く、前線ではあまり評判はよくありませんでした。
しかし南方の滑走路が次々と整備されていくと、その速力を活かした新たな戦闘を行う三二型は大きな戦果をあげました。

零式艦上戦闘機二二型
二二型は、三二型の航続距離低下という欠点を克服するため開発されました。胴体と発動機はそのままに、翼を二一型の翼端を折り曲げる機構を復活させ、丸形としました。そのため急降下速度は下がりましたが、急造のわりにバランスのよい零戦となっています。
本来ならば、四二型となるのですが「しに」を連想させるため避けた説や、四二型の開発が中止されたため欠番といった説があります。
型の順番は機体の形、装備された発動機、の順になります。つまり二二型は、二型の機体に二型の発動機を装備した二二型、となります。

零式艦上戦闘機五二型
二二型の胴体と発動機を搭載しつつ、翼の長さを三二型と同じ長さとし、翼端を丸型とした機体です。
また最大の特徴として、発動機の排気を今まで一ヶ所にまとめて行っていたものを、数ヵ所に増やして速力を向上させた推力式単排気管を採用しています。この推力式単排気管は、同じ発動機を搭載した二二型に比べ20km/hほど増したと言われています。
また五二型は他の零戦には少ない武装強化型が次々と採用されました。零戦の性能を最大限に活かした設計であると同時に、零戦の限界が近いことがうかがえます。

零式艦上戦闘機六二型
250kg爆弾を搭載可能な零戦として採用されました。しかし特攻作戦が始まると500kg爆弾を懸架するよう改修されました。また急降下爆撃に耐えうるよう機体強度が強化されています。

零式練習戦闘機
二一型を複座に改造した練習用の機体です。翼内機銃や着陸装置を簡略化したものの、爆弾は懸架可能だったため、やはり最後は特攻機として出撃しました。

二式水上戦闘機
南方地域の広大な範囲を制空権に置くためには、滑走路の整備や増設など時間を要しました。そのため水上を滑走路にした水上戦闘機の開発を昭和14年に開始しました。しかし開発が難航し、南方地域への配備が間に合わないため急遽零式艦上戦闘機を水上戦闘機に改造したのが二式水上戦闘機です。改造とはいえ、もともと水上での運用を考えていないため、海水の侵入激しく生産の段階で防水加工を施し、二式水上戦闘機として正式採用されました。抜群の性能を誇りましたが、水上戦闘機の中だけであり、実際は敵の戦闘機には苦戦を強いられました。しかし島の防衛戦闘や船団護衛に大きく貢献したことも特筆すべき点でしょう。

いかがだったでしょうか。このように零式艦上戦闘機は幾度となく改造を繰り返し、その都度性能を大きく引き出してはいましたが、同時に零式艦上戦闘機の性能限界は序盤から見えており、後継機の開発の遅れもあって零戦を使い続けなければならなかったことも事実です。
誕生から間もない一一型の中国戦線での無敗神話は、その後の零戦だけでなく、日本海軍の行く末を決定付けた華々しくも悲しい出来事だったことは、想像にかたくないでしょう。